雨ニモマケズ 風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ
欲ハナク 決シテ瞋(いか)ラズ
イツモシズカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲ食ベ
アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコワガラナクテモイイトイヒ
北ニケンカヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハ
ナリタイ


 昨日も言ったがエイプリルフールである。


さて、今の若い人たちは知らないだろうが、かつてこの日は恐ろしい日であった。
たとえ道に迷おうとも決して人に尋ねてはならないし、授業で分からないところを聞いてもいけない。それどころか教科書の内容を信じることも止めておいた方が良かった。何故なら「その日に学習することになっている内容」そのものが仕組まれたものであるからだった。先生が前の授業の時に「いつもより遅れている」などと言っていたなら尚更に注意しなければならない。そこから布石は始まっていたからである。
これができなければ、その人はこの日に目を光らせた猛獣さながらの連中に「してやられる」こと請け合いであった。事実、何人もの有志たちがこの日に破れ、挫折し、消えていったものである。小生は毎年この日に墓前に花を供えることを欠かさない。この日がなければ、日本は少子化に悩むこともなかったのではないだろうかと、今も思う時がある。
ともあれ、現在ではそんなことも無いと思う。平和な時代に乾杯。