昨日、「これは日記もどきであって日記ではない」というようなことを書いたわけであるが、それについて少し。
「日記」はその日にあったことを、やはり正直に書かれるべきだと思う。つまり、小生が「日記」を書こうとする場合、小生が献血したこと道で困っているお婆さんの荷物を持ってあげたこと、子供が手放してしまい、空に向かっていく風船を素早くジャンプしてキャッチしたこと等を書かなくてはならない。
そうすると小生が善人だというイメージを持つ方が現れるのは想像に難くない。しかし、それは間違った認識である。
小生は悪人ではないと自分で思っているが、同時に善人ではないとも思っているので、バカ正直に「日記」を書くのはやめようと思った。
だからこれは「日記」ではなく「日記もどき」なのである。



さて、深夜に爪を切ろうと思ったのだが、ぱちんぱちんと音を響かせると近所迷惑になるんじゃないかと小生は気が気ではない。

しかし、世の中には「ぱちん」でなく「さくっ」と切れる爪切りもあるそうだ。ふと考えてみれば、あの音は爪を「切った時」でなく爪切りの刃で挟まれた爪が「割れる時」に発生する音であるように思う。 つまり爪切りの刃が
「この爪を切ってなどやるものか」
と抵抗しているのである。

そこで小生は爪切りの機嫌を取るべく、手入れをしてやることにした。内部を分解して隅々まで掃除、やわらかい布で本体を丹念に磨き上げた後、砥石で刃を研ぎなおしてやる。これで爪切りも機嫌を直し、小生の爪をさくさくと切り始めるに違いなかった。

しかし小生、うっかりしていた。分解の際にペンチを用いて力ずくで解体したため、フレーム(?)が歪んでしまい元の姿に戻してやることができなかったのである。

小生は爪切りひとつ救ってやれない己の非力を恥じた。
いくら謝っても許されることではないが、いつか爪切りに宿っていた魂に小生の爪を深爪にしてもらいたいなと思った。
その後、役割を全うできなくなった爪切りを不憫に思ったので、神棚に飾っておくことにした。